Yonezawa Engineering Asia Co.,Ltd.
「〈ソピタはポジティブすぎる〉といつもみんなに怒られるんです」と笑う。底抜けの明るさでその場にいる人たちを和ませる人。それがソピタ氏にお会いした時の印象だ。
米沢工機は1954年に創業。それから半世紀以上、工作機械などものづくりに必要な機械を取り扱う専門商社として日本国内での実績と信頼を積み重ねてきた。取引先メーカーの海外進出に伴い、そのニーズに沿う形で海外拠点を拡充。その最重要拠点の一つがタイだ。
タイでの設立は2002年。設立間もなく新卒で入社したソピタ氏は現在セクションマネージャーとして、同社の日本と東南アジアをつなぐ要として活躍している。
入社前は学生で、バンコクの日本語学校で日本語を教えるアルバイトをしていたソピタ氏。知人からたまたま紹介を受け同社に入社した。入社当時は文字通り「右も左もわからなった」と言う。日本語が話せるアドバンテージこそあれ、業務に関する知識もスキルも皆無だった。当時の社員数は日本人を含めて5人。「会社としてのベースがない中、みんなで協力しながらひたすらトライ&エラーを繰り返していました。すごく大変でしたが楽しく思い出深いです」(ソピタ氏)。業界のことや通常業務のことはもちろん、会計や人事、経営など、その時に必要と感じた知識は自ら勉強し吸収していった。
会社も少しずつ軌道に乗り始めた2011年秋、タイを大洪水が襲った。取引先の工場が次々と浸水。浸水してしまった工場からは「電気が止まった」「工場に浸水した水を抜きたい」といった助けを求める声が殺到。次第に「うちも危ないかもしれない」という工場から土嚢や機械・金型といった設備を避難させるためのオーダーが相次いだ。そんな状況の中ソピタ氏は「自分たちにできることをやろう!」とタイ人スタッフたちを鼓舞し牽引した。お客様が困っているから何とかしたい、助けたい、という一心だったという。タイ人のネットワークを駆使して情報を必死にかき集め復興のために奔走した。逆境をものともしないソピタ氏の持ち前の前向きさに勇気づけられたと社員たちは口を揃える。
「私にとってYONEZAWAは第二の家族です」。2012年、年末の社内パーティーの席でソピタ氏が全社員の前で語ったスピーチでの一言。この「家族」というキーワードがソピタ氏の考える仕事観、会社観を全て物語っていると感じる。タイ人にとっての家族とは、日本人が考えている以上に大きく、大切な存在。良いことも悪いことも本音で向き合いながら、チームとして積み重ねてきた一つ一つの経験が、会社と自分の成長につながっていく。チームで働くことの大切さを誰よりも知っていると感じた。
「これから会社が大きくなっていく。もっともっと強い組織にするためにも社内の体制を整えていきたい」とソピタ氏。
取材を終えた時、ソピタ氏は満面の笑みで見送ってくれた。新卒入社の頃の屈託ない笑みはそのままに、熱い使命感をまとっていたように思う。組織が大きくなるにつれて、大変なことはさらに増えるだろう。しかし彼女は持ち前のポジティブさで周りを巻き込み、困難を乗り越えていくに違いない。一人一人が自発的にポジティブに働ける〈燃える集団〉作りに尽力するだろう。次のステージへと向かっているタイ法人のこれからが楽しみだ。
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谷田貝 太一
Taichi Yatagai