既成概念の枠を超え自分たち〈らしさ〉を追求。

Ishida Taiseisha (Thailand) Co., Ltd.

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既成概念の枠を超え自分たち〈らしさ〉を追求。

幾多の試練を自らの糧に。

「これはどうしたものか」。2011年にタイを襲った洪水被害。自社の印刷工場が浸水被害にあったと報告が入ったのは、厚見氏が石田大成社タイランドの社長職について3日目のことだった。工場の一階にあった印刷機械は全て水に浸かった。効率上一階に集めていた印刷データもほぼ全て水に浸かってしまった。かつて経験したことのない試練を前に厚見氏は不思議と落ち着いていたという。
「社長職に就いたばかりで何をどうしていいかわからなかったというのもあります。困ったことには違いないですが、これは逆に天から与えられた使命なのかなと(笑)。不思議とポジティブに捉えていました」(厚見氏)。
まずは被害の全体を把握。納期の近いお客様に連絡をし状況を説明。残っていたデータから版の復旧を急いだ。どうしても納期をずらせない案件には他印刷会社に頭を下げて、お客様に迷惑がかかることがないように、と動きまわった。社員たちには自ら先頭に立ち「大丈夫。心配ない。一緒に乗り越えよう」と鼓舞し続けた。出鼻の試練をくぐり抜けた厚見氏はこの経験から「何が起きても大したことはないと思えるようになった」と笑う。いつもは厳しい発言の多いとあるお客様に「ここは頑張って乗り切れ。できると信じている」という言葉に今も励まされるという。
同社のルーツは京都発祥の印刷会社だ。2016年に創業100周年を迎えた老舗中の老舗。印刷事業を核としながら、上流工程であるコンテンツ制作に注力。企画から制作、印刷納品までワンストップで対応できる体制を強みとしてきた。現在ではリアルからWEBまで、その事業領域は企業のコミュニケーション活動全般をカバーする。
厚見氏が同社に入社したのは「海外勤務」が大前提だったという。中学3年間をドイツで過ごし、日本に戻ってからも大学ではドイツ語を学ぶ。海外で勤務することは必然だったと厚見氏は語る。入社4年後、欧州(ベルギー)拠点に配属。営業GMとして欧州戦域で営業活動を行ってきた。欧州での勤務が10年に差し掛かる頃「さらに外へ」と考えた。当時、海外拠点中、最も苦戦を強いられていたタイへの赴任に自ら手を上げた。新しい経験がしたい。最もチャレンジしがいのあるタイへ。

常識にとらわれない行動力が組織を動かす。

同社のタイ進出のきっかけは某自動車メーカーへの現地でのサポートであった。タイ語版の取扱説明書や販売店で使用するツールなどの制作と印刷をタイ現地で行ってきた。厚見氏はこうした従来の主要事業も育てつつ、さらに別の柱が必要と考えた。それは同社が日本で強みとしてきたコンテンツ制作を現地で成長させること。つまり「石田大成社らしさ」をタイで貫くことと考えた。厚見氏は豊富な海外経験の知見から、タイでの事業成功の鍵は「現地に即した情報発信」にあると考えた。精度の高い翻訳はもちろん、人種ごとに見られる志向の特徴や文化的背景、法令や慣習に即した情報発信を徹底的に研究した。
一方で社内では「信頼できるスタッフの育成」に注力した。同社の人材育成のテーマは「自主性」と厚見氏は語る。「タイで自主性を求めるマネジメントはそぐわないのでは?」という固定観念に真っ向から切り込んだ。働きがいを創出し離職率は目に見えて減っていった。
今やタイにおいて、とくに製造業の分野で同社の活躍を見ない日はない。タイで開催される各種モーターショーを始め、METALEXといった製造業の展示会イベントでは同社が手がけたブースのクオリティはひときわ目を引く。U-MACHINE誌が2016年より運用を開始したスマートフォン向けARアプリケーションを開発し提供しているのも同社だ。厚見氏の掲げるクロスメディアによる情報の現地化は着実に形にしてきた。本社から厚見氏に課せられた「タイで日本の石田大成社のミニチュア版を」というミッションは、いつしか「日本でできないことをタイでやる」に進化していった。

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Ishida Taiseisha (Thailand) Co., Ltd.

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